ゆっくり生きていくのがいいのかもしれない

 

あたしンちというアニメを見た。

私が中学生の頃にテレビで見ていたけれど、友人がいつも見て、なぜかインスタにワンシーンを載せてくれるから私も見たくなってたまに観ている。

物語は家族4人のthe・日常。って感じ。

休日、父はソファーで昼寝をし、息子は好きなアイドルのDVDを見て、母と娘は買い物に行く。

 

そんななんでもない生活を見て、素敵だな。とふと思った。

 

社会人になってから、常に何かしらの目標を持ってお金を貯めたり、趣味に没頭したりしてきた。それが自分にとって良いことだと思っていたから。

 

でも叶えたい夢はほとんど叶った。

(まだ全てとは言い切れないけどね)

 

もう以前ほど必死になって叶えたい夢ってない。

そうすると、なんだかもっとゆっくりしても良いんじゃない?と思うようになってきた。

(とか言いながらもうすぐインド行くんだけど。笑)

 

ゆっくり生きる時間を作ってこなかったから、目標がないことに焦ったり、何をすれば有効に時間が使えるのか、ばっかり考えてた。常に何かをしようとしていた。

 

止まりたいのに止まると、何かから遅れてしまいそうな気がする。

ふじぎな感覚。

 

でもふとした幸せを感じる時間は

 

自分で作ったご飯を食べている時だったり

激安のイチゴを使ってジャムを作っている時だったり

ぼーっとベランダの植物たちを眺めている時だったり

本を読んで感動している時だったり

誰かの落とし物を拾って渡す時だったり

 

そんななんともない、人に伝えれば大した話題にもならないような時間なんだよなあ。

 

人からすごいと言われたい。

そんな気持ちもあるけれど、きっと本当に自分が望んでいるのはそういうものではないのかも。

 

ただ生きることが、何よりの幸せで、日々少しずつ何かを見つけることが人生の光になるのかもしれない。

 

だから、わたしンちとか海街diaryとかかもめ食堂とか家庭的でゆったりした物語に最近惹かれるのかもなあ。

 

今も仕事の前に時間が空いてゆったりブログ書いてる。

昨日作ったいちごジャムを安く買ったパンの耳にのせて食べて幸せを感じている。

 

私はこんな小さなことで幸せを感じられる人間だったんだな。

生きていればいろんなことがある。自ら大きなアクションを起こさなくても、勝手に起こることは起こるし、起きないことは起きない。

 

選択を迫られた時に、面白そうな方を選べる余裕を残して生きていれば、十分楽しんで生きていけるんじゃないかな。

必死に追いかけなくても。

無理に頑張らなくても。

そんなことをぼーっと考えている。

 

そういえば、こういう考えを芽生えさせてくれたきっかけとなったのは

「年収90万円で東京ハッピーライフ」という大原扁理さんの本。

www.amazon.co.jp

私が、結婚当初にもっと稼がないと!将来の子供のために!将来の人生のために!と焦りまくっていた時に読んで衝撃を受けた本。

 

お金だけじゃないなあ、人生は。

仕事だけじゃないなあ、人生は。

大義名分でもないなあ、人生は。

そんな気持ちを思い出させてくれる本。

 

それからも、また私焦ってるな、と感じた時には図書館に行って借りて読んでいる。

 

足りないものがあるときは自然と必要なものに出会える気がする。

足りないことで新しい何かを吸収できる。

それがすでに足りているんだよ、と教えてくれることかもしれないし。

 

こういう気持ちがずっと続いてくれると良いなあ。またすぐ焦ったりもするんだけど、なるべく早くこの感情を思い出せますように。

 

ではみなさん、今日も素敵な1日を楽しんでいきましょか。

あでゅ。

 

仕事変えちゃうよ

子供の時は嫌なことは号泣するほど嫌なこと嫌だったはず。

意思表示が驚くほどはっきりしていたはずなのに、だんだんと

『我慢』

ということを覚えてしまった。

生きていくには多少は必要なことではあると思うけれどね。多少は。

 

そして「我慢強さ」はいつの間にかスンバラしい人間への輝く道かのように見え、周囲もそう言っていたから間違いないと思ってた。

 

いつの間にか私の中で『我慢』は美徳になり、当然になった。

 

大人は我慢をするもの。我慢するから立派なことを成し遂げられる。

きっとどっかで聞いたことのある言葉なんじゃないかなあ?

 

でも近頃、と言ってもここ数年なんだけど

 

『我慢しなくていい』

 

という新しい文言を聞くようになった。

私の好きな図書は決まってそういうことを言ってくれる。

 

「あれ?美徳どこ?大人の我慢どこ?我慢が幸せに近づける切符なのでは?!」

いきなり壁をぶつけられた気分だった。

 

でも、我慢しない方が圧倒的に気分良く暮らせることはここ半年、我慢して仕事をした自分を見ながら気づいた。

 

だって、、、我慢して仕事して、家に帰った時に夫への八つ当たりが半端ないんやもん!!

ほんまごめんよ。

残業1分もしてないのに22時に残業した旦那くらいのテンションで家に帰るわけさ。

そんで、ソファーから1歩も動かず、何か気になることがあれば夫に文句を言う。

 

なんという妻か、、、。

それでも優しく、お疲れ様と言ってくれる夫には頭が上がらん。。。。

その時は即仕事を辞めました。笑

これでは生活がままなりませんゆえ。

 

そして現在。仕事嫌だパート2をお迎えしてしています。笑

前回ほど不機嫌にはなってないので安心してください。

 

でも、疲れはどっときてる。

今の仕事の何が嫌かというと

事務作業。

 

今まで私は接客業しかしたことがなかった。

事務作業は人生で本当に向いてないだろうなーと思って避けて生きてきた。

なのに、やってみよっかなーと謎に思い立ってやってみたら、本当に向いてなかった。笑

(やって確認しないと気が済まない私。)

 

1月中旬から繁忙期のみの3月末まで、不動産業の事務と内見案内をしているんだけど、まー事務所にいることがしんどくて仕方ない。

主に物件の検索やその部屋がほんまに空いてるんかの電話をかけまくってる。

内見案内は楽しくて向いてるって思うんだけどね。

 

仕事初めてすぐに、4月末までの延長をお願いされ、そのときは認めてもらえたことや、必要とされたことに嬉しすぎて即答で

「YES!!!!」

と答えたけれど、今、めちゃくちゃ後悔してる。

 

その後悔がMAXになり、「仕事やだー」と夫に愚痴っている自分に気づき、

仕事中もやりたくないが全身から滲み出て、

仕事を頼まれるたびに「はーーまたか。」( ´Д`)と思い、

(そりゃ仕事しにきてるから仕事は頼まれるんは当たり前よ。笑)

全く体力なんて使っていないのに、本日フルマラソン完走しました!くらいの疲れで帰宅。

 

こんなんここで言ってる自分もダサすぎる。

 

ということで。

仕事変えます。

我慢やめます。

本日決めました。

 

善は急げ。

派遣会社にも相談し、

(超繁忙期が過ぎて仕事がなくなってきていることもナイスタイミング)

来月半ばで辞めることにしました!!!!!

 

いえーーーーーい!!!!!

 

ありがとう、派遣会社さん。交渉してくれて!

ありがとう、会社さん。お仕事くれて!貴重な人生の経験を積ませてくれて!

グッバイ!!!!

 

と言うことで、また来月半ばからですが、新しい仕事に早速応募した!

受かると良いなあー

 

今日は自分に正直に我慢せずに伝えたことに全力でTHANK YOUを言いたいと思います!

よく決断した!

ナイスだ!

 

旦那に話したら、旦那も喜んでた^ ^

夫婦で嬉しいなんて、夫婦の醍醐味だよね。ありがたい。

 

明日また新しい仕事の担当者さんから連絡来るはずだから楽しみにしておこう!

 

でも一瞬不安になったけどね。

前回も仕事が嫌になって辞めて、今回も仕事嫌になって変えて。

次もそうかな?どうかな?

また嫌になって辞めるかな?(それを見越してまた期間限定のお仕事にしたけど)

 

でもな、これ繰り返していったらどうなるん?っていう不安と同時に

この研ぎ澄まされていった先に何が見えるんやろ?

みたいな、不思議なワクワク感もある。

この感情は今までになくて謎すぎるんやけどな。

 

歳をとるごとに、やりたくないことがほんまにやりたくなくなって、我慢ができなくなっていてるみたい。

ええんかわるいんか。ええもわるいもないんか。

どちらにせよ、もう自分は止められんから、このまま行ったらどうなるんか見守ってくださいませ。

 

人生っておもろいな。

 

それではおやすみ。あでゅ。

 

 

 

脱出したい

たまに感じる

「日本から脱出したい」

っていう感覚。

 

ただの現実からの逃亡なんだけど。笑

 

大体が仕事が嫌になったり、自分の中にある ’日本的考え方’ みたいなものが巨大化した時にいつも起こっている。

今がまさにそう。

 

残業が当然であったり、会社に貢献することが当然であったり。

やりたくないなと思いながら仕事をしていたり。

楽しく仕事をしている同僚が羨ましくなって「どうして自分は楽しめないのか」とひっそりと塞ぎ込んだり。

 

そんなことが時にある。私の場合は2年周期くらいで爆発する。笑

その度に、休みを取って旅に出てどこか違う場所で、なーんにもせず自分のエネルギーを補給して戻ってくる。

そしてまた、働いて旅に出ることを繰り返している。

 

そんな生活をしていたら、もちろん仕事は続かず。笑

大体は2年以内で転職してる。

 

そして色々挑戦した結果、期間限定の派遣という仕事が一番自分に合ってるなーと思う。

期間は決まっているから、飽きても大丈夫だし(私は飽き性。)

長期で休みたいと思ったら稼ぐ期間を決めればいい。

 

日本にいても自由な人もいれば、私のように「ビバ☆脱出」を考えている人もいたり、

今の環境が最適だという人もいて色々。

 

でもそろそろこの繰り返しのループからも脱出して、もっとプラスの気持ちや同期で旅に出たり仕事をしたり、趣味を充実させていきたいなって思うんだよね。

あと、関係ない!って思われるかもだけど、年齢とともに固定された職業に就いた方がいいんじゃないか?みたいな考えも沸々と湧く。

 

かと思いきや、なんだか幸せな気分になって「このままでも十分に幸せー!」とご飯を食べながら思う時もある。

 

まだまだブレブレよ。

 

皆さんはどうなんだろう?

 

こんなの考えてるのが子供っぽいのかなー。

みんな疑問とか抱かないのかなー。

私だけなのかな?

 

そんなモヤモヤした今日だった。

 

あでゅ。




 

人のかっこよさ

何気ない友人のかっこいいいと思う瞬間に出くわした。

 

以前、友人と夫と4人でホームパーティーをしていた時に、ある友人が黒人の話題で何か面白いことを言ったらしく、夫と二人で笑っていて、私もつられて笑った。

どういう意味かはさっぱりわからなかったけど、少し差別的な要素がある感じがしていた。笑っている側としてはバカにしているつもりはないのだけども。

 

その時に別の友人が、鋭い矢のの如く

「何がそんなに面白いんですか?」

と言い放った。

 

(その友人は時たま、楽しい時でも敬語を使うからその時に敬語を使ったのは特に意味はない。)

 

そしてその瞬間、なんとなく空気は止まり、流れていった。

その話題とともに。

 

その瞬間に、私は

 

『かっこいい』

 

と思った。声には出さずひっそりと。

 

その後、2人が帰宅した後に夫から

「OO(かっこよき友人)はちょっと怖かったね」

と言われた。

 

その夫の一言がよりその友人への尊敬を増させてくれた。

相手に大きな不快を与えることなく、喧嘩にもならず、その場を納め、「ちょっと怖いな」という有無を言わさぬ感情をも相手に抱かせたことに。

 

OOは全く悪気がなく、本当にわからなかったのだと思うし、なんなら知りたかったのかもしれない。

でも、悪意なく笑っているつもりの自分らにとってはその一言で、隠れていた悪意が思いっきりオープンになった気持ちになった。

 

純粋って、怖いよね。笑

 

そんな人間になりたいと願ってもなかなか難しい。

日本には空気を読むって言葉だってあるんだから。

ふと職場で、友人同士で、夫との会話で合わせて笑っている自分に気づく瞬間があるのに「大したことじゃないか」と、いつの間にか気にせず笑う自分がいた。

 

そんなある日の今日。

ほとんど同様のことが夫との会話にあった。

私は瞬時に以前の一件をを思い出した。

(今だ!私もOOのようにかっこよくなりたい!)

と思ってでた第一声。

それが

 

「それってその人のことバカにしてるん?」

 

だった、、、、、、、。

完全に喧嘩売ってる。。。。

全然クールじゃないし、なんならちょっと私はイライラしてた。

(なんでそういうこと言うの?!失礼すぎでしょ!)

ってね。

 

でも、こうなったら平行線で

「バカにしてない!」

「バカにしてるやん!」

「バカにしてない!」

「いや、そのつもりなくても私ならそう聞こえるわ!」

 

ちーーーーーーん。

 

私ノ理想ドコイッタ。

感情に任せて言い合っているだけ。

OOの足元には到底及ばず、夜だったので休戦し無言のままお互いに就寝。

 

改めて、自分はまだまだ未熟であると自覚した。

 

でも今回のことで、最近の自分は完全に周りに同調していたし、自分の感情に嘘ついて笑っていたことに気づけた。

自分に嘘つかないって決めたのに、これは見落とし嘘だな。

 

それに気づけただけ進歩。そして、夫よすまない。笑

 

次、おんなじような立場になったら言うよ。

 

「え?何が面白いん?」

 

ちゃんと純粋にな。知りたいですっ感覚でな。これが大事!

私の性格やと嘘ついたらバレるからな。笑

 

皆さんも、友人のこんなところがかっこいい!っていうところはありますでしょうか?

 

ではでは。あでゅ。

今日も素敵な1日を。

ぼーっとしてたら出てきた記憶

昨日おにぎりを食べながらぼーっとしていたら、ふと過去の記憶が出てきた。

それも何気ない記憶が。

 

私が病院で看護師をして2年目のころ、不思議な先輩がやってきた。

物腰柔らかで、おっとりしていて、

なんでこんなバタバタの病棟看護師してるんだろう?と思うような方だった。

その人は仕事が早いほうではなかったのだ。
 
(私もそうだったけどね。5時にみんな終わる中、8時まで残業とかザラにある。笑)
 
病棟の看護師は勤務交代のたびに、自分の受け持っていた患者さんの情報を次の勤務の看護師に伝える「申し送り」という時間がある。
大体は、わかりやすく、次の勤務の人が困らないように申し送るのだが、
彼女だけは申し送りで言っていることの意図がわからず、
質問しても本人も自分が言っていることを理解していなかったことがあり、
イラっとしたのを今でも覚えている。
先輩の申し送りでイラッとしたことなんかあまりなかったからより鮮明に、、、。
 
正直、私は
「この人はあんまりこういう仕事は向いてないんじゃないかなー」
と思っていた。
 
そんな彼女が手術予定の患者さんを担当した時、患者さんは手術2日前だというのに
「手術はしない」
と言って退院してしまった。
 
医師の説得にも他の看護師の説得にも全く耳を貸さなかったらしい。
 
先輩達は
「もう!ooさんのせいで!どんな説明したのよ!」
怒り狂っていた。
 
私もそれを傍目から見て
「うわー!そんなことってある?!
やっぱ○○さんって仕事あんまり出来ないんだなー。」
と思っていた。
 
その記憶はそこで終わり。
 
だけど昨日ふとぼーっとしていた時に、このことを思い出した。
そして、当時の感想とは別のことを考え始めた。
それは
 
あの時本当に彼女のせいで患者さんは退院したんだろうか?
 
もしかして、その人はその人の立場からみたオペの話をしたんじゃないだろうか?
 
それが患者さんにとって一番ピンと来た、
患者さんにとっての最善の判断の一助になった
ということは考えられないだろうか?
 
ということだった。
別にこんなこと考えようなんて思ってないのに不思議だなーと思いつつも、
なんだか腑に落ちる考えだな、と思った。
 
8年以上も過去のことだから、事実はわからない。
だけど、あの時そこまで考えれていたら、
その人をもっと理解できて、違う視点でその方と話ができたかもしれないな。
なんてことを思った。
 
でも、こんなことは、8年前だけの話じゃない。
これはこれからも起こる。
もうすでに何度も起こっているかもしれない。
 
何か出来事があって、あの人のことだから、とか、
皆が持つ感想や雰囲気に飲まれて自分の頭で考えずに
単純な答えしか持つことができないことはいかに視野が狭いのか。
そんな視野が狭かった自分に、やっと気づけた気がする。
 
気づけてよかったなあ。
この気づき忘れないようにここに記しておきます!
 
最後に。
皆さん。ぼーっとするって良いですよ。
なんだか、意外なことが不意に思いつくんですもん。
人はずーっと考えてた答えが、いきなり出てくることってあって、
それが、全然関係ないことしてる時なんですってね。
今回のは大して考えてもなかったんだけれども。
それでも、良い学びをくれてありがとう。
 
たまには
ぼーっとしましょう。ぼーっと。
 
あでゅ。
 
 
 

ニート=暇ではないし、役に立てる

コロナ関係の仕事をしていた時、もうそろそろ仕事がなくなるんじゃない?

とみんなが思い初めていた時期があった。

それが、2023年4月末。

どんどん、別の部署の派遣がいきなり切られていった。それも前日に。

 

恐ろしやーーーー。

 

そう思いながら、無職になる覚悟を決めていた。

 

そして時はきた。いきなり、派遣の全員に一斉メール。

 

「明日で勤務終了になります」

 

自分らも例外なく、いきなり切られるんだ、、、。

一応、1ヶ月契約だったこともあり、出勤予定だった日の分はお給料が出た。

出勤せずともお金が貰えると言うことでラッキーだな。と皆で話していた。

 

そして、私は

 

ニートになった。笑

 

どうしても働く気が起きなくなっていて、失業保険を貰いながら生活していた。

本当に日本の制度はありがたいなーとこの時初めて思ったよ。

(今まで税金なんか!とか保険なんて!と思っててごめん。)

働かなくても毎月お金がもらえる。最高か。

 

そして、ニートになって毎日どんな生活を送っていたかというと、

当時、叔母が住んでいたアパートは叔母が留守にするから住んでいいと言ってくれて

そこに引っ越すことになった。

 

夫婦でコロナ関係の仕事をしていたもんだから、今後の稼ぎは減るだろうなと予測していたんだよね。(コロナ様さま。)

あと、家賃は安い方がいいと気づいた。

平屋が憧れでそこに住んだものの、家賃の高さに最後は払うのが嫌になってた。

家は最高だったけど。

 

だから、5月は引越し準備、引越し、片付け。何かと忙しかったんだけど、1ヶ月も経てばそこそこ片付き、暇になった。

 

暇になってからの毎日のルーティーンは

起きて、

洗濯して、

着替えて、

図書館行って、

買い物して、

夕飯作って、

寝る。

 

たわいも無さすぎる!!!!

こんな生活したことねえよ!

いいんだよ!毎日ストレスもないし!

けど社会から外れた気がしてしまう!

 

そんじゃいっちょ、前からやりたかったヨガにでも通ってみますか!

 

と思いたち、ヨガに通うことに。

みんなもご存知、あの有名なホットヨガのLAVAに通っておりました。

(初めての方は最初の数ヶ月間すごく安くてお得だよ。)

そしたら毎日のルーティーンにヨガが加わっただけで、

他は何にも変わらなかった。

 

その日々は、和やかだけど人とほとんど関わらない。

ヨガの先生か、スーパーの店員か、夫のみ。たまに友人。

 

毎日生活を送っていると、なんだか私も何か人の役に立ちたい。

ありがとうとか言われたい!という感情になってくるんだよね。

ヨガの先生やスーパーの人や私の夫のように、

 

私も社会に貢献したい。

 

今の自分は社会に何も貢献できていない。

役に立っていないんだと感じてた。

 

そうなると、近くの人が何か落としたらすぐ拾いに行くし、

困ってそうな人には声かけるし、

電車で席がが必要そうな人を探し求め、

積極的に席を譲りに行く超絶いい人みたいになっていた。笑

 

働いてくれている人に対しても

「ありがとう」とか「こうしてくれたことが嬉しかった」とか

前より感謝を伝えるようにした。

 

働くこと=社会貢献だと思っていた私は

働いていない分、

何かの形で人の役に立たねば!

って思ってたんだよな。

 

(以前の自分みたいに疲れていないし時間もたっぷりある。

その余裕から生まれた行動でもあるのかもしれないなと思う。

余裕って大事だね。)

 

でも振り返ると私がやっていたことも、社会貢献なんだって気づいた。

 

社会貢献っていうのはきっと仕事のことではなく

協力や助け合いのことを言うのかなと思う。

 

働く人がいて、それを受け取りまたその人たちを支える人がいて、

その形は

目に見えなくても

評価できないくても

誰かの役に立っている

それは究極、この世に存在するだけでもそうなんだろうな。

 

植物状態になってもまだ生きていてほしい。

って状況はそれに近いんじゃないかと思う。

(今は想像もできないんだけど、、、)

 

労働と賃金だけが社会貢献じゃないよね。

なんと狭い社会を見てたんだろう!私!気づいてよかったあー!

 

以前本で読んだ

「頑張ることを強要しない人になればそれは優しい社会を作るためになる。

そんな小さな社会貢献をしてみるのはいかがでしょう?」

(みたいな文章だったと思うんだけど、多分、、。)

 

そんな形での貢献の仕方もあるんだな、感心したんだよね。

自分が気づいてないだけでいろんな形があるんだねえ。

 

 

そんなことを思っている間に

ニート期は4ヶ月で幕を閉じ、

やっぱり働こうと思う時期はやってくるもので、私も働き始めました!

 

もっとニート生活続けたい感情もあるけど

でも、働いて新しいことに触れたい感情もあり

金銭的にもニートは困難。笑

ならば働く方を選びました!

 

でも、どうしても週5働くとおそらく気力がなくなるから、

週4にして私生活と仕事と穏やかに暮らしております。

 

 

今はこれでいいかなって思うけど、またいつかニート期がくるかも。笑 

未来はわからないからなあ。

 

そんなふうにコロコロ変わりながら生きていくのも良いよねえ。

今までもそうだったし。笑

 

ニートになってこんなことに気づけるなら、

あの暇な時間は無駄ではなかったんだと思える。

また来いよ、ニート期。

 

それでは今日も良い1日を。

あでゅ。

 

 

 

 

 

ヨガで学んだ無知のいいとこ

昨日はヨガに行ってきました。

ホットヨガに通ってたのですが、先月でそこはやめて別のヨガスタジオに通うことにしました。

ホットヨガ、暑い!笑 夏だったからですけどね。しかも、スピードが早くてもっとゆっくりやりたいなーって思いもあって新しいところに行ってきます!

 

それが高級住宅街にあるヨガスタジオ。

こんなところに私めが入ってもよろしいのかい?

と思うくらい白い壁におしゃれな植物まで生えている場所。

こんにちわあぁーーーー。

中の受付の方が笑顔で出迎えてくれ、なぜか生徒さんまで笑顔で挨拶してくれました。

高級住宅街とはこういうものなのか。。。これが真の余裕の笑みやな。とか思いつつ高級住宅街の一員かのように笑み返しをしてみました。

にぃーーー^ ^

 

先生と生徒で軽く談笑して、最近の不調を聞いてくれ、レッスンスタート。

生徒は4人。先生1人。なんて贅沢。

積極的に、姿勢の指導もしてくれるし、気持ちいいーーーー。

 

そのあと、チャレンジしてみましょう!と三点倒立の練習。

 

先生)頭と肘をついて、膝を片足ずつ肘の上に乗せて、乗せて膝を閉じます。

たかーく足あげて完成。

 

めちゃくちゃなんでもないように言うけど、これ私、、、できます!?

とか思いながらも、

 

先生)さ、やってみましょう!

 

となんのことなしに先生が言うものだから挑戦してみることに。

各々練習スタート。

 

腕がグラグラして中々上手くいかないんです。

腕に膝を乗せるなんて人生でやったことないですけど?!

グラグラグラグラ、、、、、

 

でも、何度かすると、両足が地面から浮いた!

その瞬間に先生が来てくれて、腰を支えてくれる。

おおおおおぉーーーー楽ぅーーーーー

って思ってたら、

 

先生)はい!足閉じて!

 

え!?こ、、、こうです?

と思いながらも足を閉じてみる。

できた!

 

先生)そのまま上にー

 

なんですと!?

こうかこうか?!

できた!!

 

先生)はいこれで完成!

 

わあーーーーできちゃったよ!

 

先生)はいお疲れ様。足おろしてー。できましたね!

 

すげええええぇぇぇーーーー!!

 

その後の先生の話。

 

「今日初めてだったんですよね?できましたねぇー。あとは自力でできるようになれば完璧。

人は難しいとか怖いとかって先に言われちゃうと、難しいんだ!怖いんだ!って身構えてしまって、本当はできる能力を持っているのにできなくなってしまうんですよ。

今みたいに何にも知らない人がやってみると、さっとできることがある。無知の方がいい時もあるんですよね。」

 

そうなのか!!

身を持って実感しました。

 

先日読んだ本に、人は「できない」とは最初は思わない。赤ちゃんの時に、はいはいなんて自分には無理ぃーとか思わなかったはず。だからみんな歩ける。

でもいつの間にか、社会で生きていく中で「危ないんじゃない?それって難しいと思うよ」とか言われたり、なにかで見たりどこかしら社会から影響をうけることで、できるはずのことも出来なくなってしまう。

 

とありました。それは自分たちが本来持っている防御反応でもあるらしいんだけど、、。

 

これを読んだ時に、いや!私はちゃんと学んで無理だって自分で判断してる!私は正しい!

なんか、負けず嫌いみたいな反応を自分でしてました笑

 

だからこの言葉を受け入れられなかったけど、今回身をもって実感しました。

あ、難しいって思って何にでもストップかけてるのは自分なんだなーって。

しかも、正しいとか間違ってるとかこの世に存在しないのにまだそこで戦ってるのかよって思いました。

 

ヨガが終わって自転車で帰りながら、今ならなんだって出来る気がするなぁーーーって不思議な感覚がしました。

 

この世はものすごく平坦で

なりたいと思ってる人も自分も。

自分から見たら上下差がある気がするけどもしかしたら真っ平でそんなものなかったとしたら。

自分が勝手につけた上下でそこに行けないと思ってるのだとしたら。

真っ平にすることで、すっとそこに行けるのだとしたら。

私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。夢は夢じゃなくなるのかもしれない。

 

そんなことをヨガから学んだ1日でした。

 

ではまたねぇ^ ^

あでゅ。