心の底からびっくりした。
まず、スラムの大半は貧困に苦しむ人たちであることを大前提として、書きますね。
日本語が少し話せる女性と以前、日本大使館のカルチャーセンターで会って、いろいろ話してて、今日はその人とまた大使館でいろいろ話してた。
そしたら、スラムの話に。
「スラムにいる人は確かに貧しい人たちもいるけど、中級クラスの人たちだっているよ。近所の人にそれを言う人も居れば、言わない人もいる。見た目ではわからないよ。だって、みんなとおんなじ様な格好をしているから。海外から来た人ってそれ知らないじゃん?可哀想って言うけど、いつか知るのかなぁとか思いながら見てるけど。」
え、、、、?そうなの、、、?
みんなあそこから出たいわけじゃないの、、、?!
でも、みんながそうではない。
このことについては、帰ってホストファザーにも聞いた。衝撃すぎたから。けど、やっぱりそうだった。
でも、なぜ?って思うよね。
正直、私からすれば絶対に住みたくない。道や川の臭いは強いし、それゆえ、感染がめちゃ怖いし、窃盗なんてよくあることみたいだし。
「私たちは今この環境に慣れて育ってるのと同じように、彼らは生まれた時からあの環境だったから、なんの疑問もないし、不自由がないんだよ。例えば、小さな村に生まれて、そこには水洗便所も、大きなビルも、セキュリティも、電気もない。でも、村の人は困らないでしょ?そういう文化で生きてきたんだから。それと同じだよ。
それに、すでにスラムの中ではコミュニティが出来てる。子供の面倒を交代でみたりとか、夜はお酒を友達と飲んで踊って騒いだりとか、何かが必要になれば誰の店に行くとか。スラムから出れば、また一からやり直さないといけない。楽しいことだってなくなってしまうしね。なんたって、外の世界は高いんだよ。スラム内に居れば安く済む。
だから、政府がスラムに綺麗なアパートを建ててもそこを譲り受けたスラムの人たちは富裕層にそのアパートを貸して、お金を稼ぎ、自分たちはまたスラムに住むんだ。だから、実際そのアパートにはスラムの人たちは住まない。
ただ、問題なのは治安も悪いし、建物の造りもしっかりしてないから雨が降れば流されることだってある。危険だとは思うよ。でも、彼らは気にしてない。見たでしょ?スラムの人たちはみんな明るい。それは、今起きてないから大丈夫ってゆう超絶前向きな姿勢からなんだよねぇー。」
それは、前向きな姿勢ってだけなのかな?
スラムについての記事で、2017年に一部のキベラスラムは政府によって破壊された。スラム縮小のために。ケニア自体もスラムを残したくないと考えてるから。貧困の象徴であるものだし。でも、その時にスラムの住人は慌てず怒らず、ただ見てただけだったらしい。それに関して、学力の乏しさゆえかも、って書いてた。これから何が起こるとか、そのためにどうしていくとか、そういうことが考えられない。そんな先の事を考えるということが難しい。例え、それを説明したとしても。
こういう部分で、教育って大事なんだなぁ。とか思った。
ちょっと話がそれたけど、そんな人達も居るんだって話。最初はまじか!!!って思ったけど、話を聞いてる内に納得した。
ただ、本当に困っている人はいるし、貧困な人達だっている。
ホストファザーが言ってたのは、キベラには3種類あって
1つめは食べ物さえ無くて困っている人達
2つめは食べ物はあるけどお金がない人達
3つめは全てが揃っていてそこで生活することを選んでいる人達
スラムで生きることは、本当に悲しいことではなく、ただその人達の文化である場合もあるということ。これは、今までで一番驚いた。